学校で教えない経済的自由人の作り方

学校では教わらない経済的自由人になるための知識をわかりやすく解説。経済的自由人とはどういう意味なのか?目指すにはいくら必要なのか?などをメンタルを中心に考察します。

なぜ日本でお金の話はタブーなの?学生とサラリーマンと経済的自由

なぜ日本でお金の話はタブーなの?学生とサラリーマンと経済的自由

日本では昔からお金の話をするのはタブーとされてきました。それはいったいなぜなのでしょうか。お金の話をしようものなら「あの人はお金の亡者だ」とか「お金の話をするなんてはしたない」「下品だ」など言われてしまうことが多かったようです。学校ではもちろんお金の授業なんてありませんでしたよね。

 

海外では普通に行われているお金の教育。お金の話がタブーとされる理由と、経済的自由人を目指すために重要な、日本とお金の教育を考察します。

 

 

 

なぜ日本でお金の話をするのはタブーなの?

日本でお金の話をすると嫌われる?

日本でお金の話をするのがタブーとされるのはなぜでしょうか。それは今につながる長い歴史の中で 「お金は卑しいもの」「お金儲けを考えるのは下品」という考え方が育まれてきたからといえます。

 

経済的自由人やFIREを小さいころからめざしている人はいましたか?

仮に「大きくなったら大金持ちになって自由に暮らす!」と宣言したとして、周りの大人から嫌な顔をされたり、大っぴらにそういうことを言わない方が良いといさめられたりしたことはありませんか?学校でも「あいつ金持ちになりたいんだってよ・・・ニヤリ」なんてからかわれたり。サラリーマンになってからも親しい人と以外話題にしないのでは。

 

家族の間でさえお金の話はタブーな雰囲気があります。それも日本のお金の教育が遅れがちだった理由なのではないでしょうか。

 

日本国民が豊かになれないしくみ

日本でお金の話がタブーなのは、過去からの国の政策が元となっていると考えられます。古くは家康の時代、治安のため国民に武器をもたせないよう「国民がお金を欲しがらない」政策をとるようになったのが始まりではないかとのことです。その後も「貴穀賤金」「士農工商」「ものつくりを尊ぶ」「欲しがりません勝つまでは」など日本国民がお金儲けしにくい政策や風潮で、お金儲けやお金の話をするのは品のないことだという考えが広まっていました。それによって一部の権力者と一般国民で貧富の差が開いていったとも考えられます。

 

国民が抜きんでてお金儲けに走らないよう、お金に対する知識の制限や、お金をたくさん持つということへの罪悪感が知らず知らずのうちに刷り込まれていき、お金の話をするのはタブー(ネガティブ)だとなっていったのかも知れません。

 

日本における資本主義システム

そんな経緯を持つ日本ですが本格的に資本主義のシステムをとりいれたのは明治時代からのようです。

 

資本主義とは

雇う側と雇われる側が存在する世界

雇用主・・・・・ 経営者・投資家・資産家
被雇用者・・・・ 労働者・従業員(会社員) 

 

従業員は自分の労働力(時間)を商品として差し出し給料を得る、雇用主はそれを使ってさらに上回る価値を持つ商品を生産して利益を得る経済構造なのですね。

 

良い学校に行って、良い会社に行って、良い給料をもらって・・・それはそれで別に悪いことではないのですが、もうそれだけでは済まない環境になってきているのではないかとある日気がつくのです。それがいつになるか・・・。早い人もいれば定年になるまで疑問に思うこともない人もいます。

 

昔ならば高い銀行金利、豊かな退職金、手厚い年金制度など、そのままでも問題なく一生を終える人が多かったでしょう。でも今は銀行金利も低く、退職金も無かったり、さらに年金支給開始時期が遠のいたり支給額自体が減額されてきていたり、これだけでも頭を抱える事態です。ここでようやくお金のことについて自ら学んでやっていかなければならないんだ!となるわけです。

 

日本でお金の教育が進まない理由

日本でお金の教育が進まない理由

お金について話すのはタブーとされてきた日本で、学校ではそもそもお金について教えてくれません。というより先生自体も知らなかったり、今まではお金についての授業枠すらなかったので、昔からのお金のことやマネープランがそのままずっと続いてきたのでしょう。このように価値観や考え方が、過去から続いている慣習や政策の影響をそのまま受けていると言えます。

 

デジタルの普及がカギに

近年ようやくこのままではいけないと、お金に関してすすんで知識を開示する人が出たりなど、お金について語りやすいようになってきました。それはちょうどインターネットやSNSの普及により狭い世界で共有されていたお金のことが、瞬時に拡散されて広い世界で共有されるようになったこともあるでしょう。

 

そう考えるとデジタルネイティブ世代*1 である、Z世代*2 の学生や社会人になって間もない人々は、よりスムーズにお金に関する意識や思想を共有できるのではないでしょうか。
 

さらに学校での授業も開始してお金に対する教育がこのままもっと進むことが期待されます。

 

海外でのお金の教育事情

海外でのお金の教育事情

日本でもようやく2020年度に小学校、2021年度に中学校で学校授業としてのお金の教育がスタートしました。買い物の仕組み・売買契約・お金の管理といった内容になります。2022年度から高校でも授業で資産形成について触れることとなり、株式や債券、投資信託などを教えることになりました。小・中・高とも科目は家庭科なんですね!


一方、他の先進国では、かなり早い段階から金融教育が行われてきました。

 

各先進国の教育状況

  教育機関 方法 学習内容
アメリ 各州、各学校、各団体 シミュレーション・ゲームよる金融・経済の教材がオンライン上で無料公開 学校授業もあり教育効果が上がるよう設計。 貯金、予算、プリペイド・デビット・クレジットカード、信用、財政難の人々への援助方法、株式投資ゲーム、お金の管理、ファンドへの投資など。
イギリス 学校 学校で金融教育が16歳までの必修科目(シチズンシップ)あり。「金融における利率」「単位価格」などは数学の授業にて。 貨幣の役割と使用、予算立ての重要性と実践、リスク管理、所得と支出、クレジットと借金、貯蓄と年金、金融商品と金融サービス、税金全般、利率の計算など。
ドイツ 学校、各州 全体による学習前は、各州ごとに内容の異なる金融教育がある。全体の教育としては学校で小学校5年生から。 貨幣の意味、収入源、商品と貨幣の流れ、消費行動(宣伝による影響)、価格形成のメカニズム、消費者行動(電子商取引による変化)、企業の目的など。(高校2年生までの学習範囲例)


他の先進国では社会に出るまでに学校にて金融教育がなされているのです。日本では大人でも知らないお金の知識を海外の学生たちは小さいころからしっかりと学んでいるんですね。

 

日本でお金の授業は家庭科で習います。お金の知識を必要とするのは主に家庭でということで、「お金の知識は各家庭で教育するもの。」という意識なのでしょうか。そうすると知識のある家庭と知識の無い家庭では、どんどん格差が広がっていってしまいますね。学校でお金の授業がスタートして本当に良かったです。

 

お金の話=ネガティブからポジティブへ

お金の話は大切なことなのに、ネガティブな過去からの思い込みにとらわれていた私たちが、ポジティブな思いに上書きしていくのにまず考えることはなんでしょうか。

 

お金に対する思い込みを解く

世の中は国民の1割の金持ちが、全体の9割の富を独占しているという現実があります。
「良い会社で真面目に働くのが一番」「お金は貯金だけすればいい」「投資は悪」という思い込みがあなたを生涯お金の奴隷にしていきます。

 

海外のお金持ちは寄付を進んでします。社会に貢献しているので、そういったお金持ちたちは尊敬されています。ノブレス・オブリージュ*3 といったところなのでしょうか。お金は使い方によってはたくさんの人を救い、家族や大切な人たちの生活を豊かにすることができる素晴らしいツールでもあるのです。

 

お金自体にはネガティブもポジティブもなく、どういう意味を持たせるか、どう扱うかが重要だということですね。お金も、好きで大切にしてくれる人のところによって来ると言います。お金と向き合ってポジティブな気持ちで接して大好きだと言えるようになりたいですね。まずは今までの思い込みの世界がすべてではないのだと気づくところからスタートです。

 

まとめ

まとめ

 

なぜ日本でお金の話はタブーなのか、学生や新米サラリーマンが経済的自由に向けてどういったお金との向き合い方をしていけばいいのかなどを考察してみました。お金自体にタブーは無く、実は扱う側の考えによって大きく左右されるということですね。今までの思い込みをすてて、お金と賢くつきあっていくために恐れずに学んで経済的自由人に近づいていきたいですね。

 

 

*1:デジタルネイティブ世代:1990年代~2000年代に生まれた世代のこと。 日本でインターネットサービスが普及したのは1990年代半ばのためこれ以降に生まれた世代を「デジタルネイティブ世代」と呼ぶのが一般的。

*2:Z世代(真のデジタルネイティブ):1995年頃〜2010年頃生まれの人々。生まれた時からパソコンやインターネットがありネットを介した情報収集や情報発信、SNSを活用したコミュニティー形成などを得意とする世代。共感や承認を重視する傾向。

*3:19世紀にフランスで生まれた言葉で、「noblesse(貴族)」と「obliger(義務を負わせる)」を合成した言葉。 財力、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことをさす。 身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会に浸透する基本的な道徳観である。『ウィキペディアWikipedia)』より